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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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衣山刑場跡

                             愛媛県殉教地、浦上キリシタン埋葬地

松山で死去した浦上キリシタンが葬られた


松山で死去した浦上キリシタンが葬られた場所。
衣山(きぬやま)は、江戸時代に松山藩の処刑場があった所で、その後墓地になりました。現在は刑務所の敷地となっています。


衣山刑場跡


明治2年の末に長崎を発ち、明治6年5月に帰郷を許された浦上キリシタンは、約3年半の間松山で囚牢生活をしました。

赤痢が発生して男子5名、女子2名が斃れたのは明治3年の8、9月のことで、その他に明治6年2月に死去した男子1名を加え、合わせて8名が松山で命を落としました。

彼らの遺骸が葬られたのが衣山(きぬやま)ですが、その跡地はよくわかっていません。後に長崎へ帰ることを許された仲間の浦上キリシタンたちが、8名の名前を刻んだ墓碑を墓地に建てたのですが、それではないかと推測される墓碑がカトリック松山墓地内の浦上キリシタン流謫碑前に置かれています。

伊予国で唯一記録に残るキリシタン殉教事件、ヨハネ柳屋九兵衛の処刑も、ここで行われたのではないかと考えられます。




衣山刑場跡

浄域

石塔

合葬之墓

解説碑

衣山刑場跡

衣山刑場跡

衣山刑場跡



 
現地への行き方
松山市衣山5丁目の刑務所敷地内です。


この地図は大体の位置を示すものです。訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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